私が占い師になれた理由
占い師になるまでの はらたかしの人生遍歴
しわくちゃの名刺がもたらした、師匠との出会い
◆占い師に興味を持った第一歩
中学時代に、叔母が連れてきた占い師に接した時が、私が占いに興味を持った第一歩です。
その時、聞いた「自分を大切に」のアドバイスは今でも印象に残っています。
◆手相が外国出張のきっかけ
仕事をしていた時に、出張先でテレビに出ているという手相師に
「故郷を離れて仕事をするとよい」というアドバイスしてもらったことは、
後で非常に役に立ち外国で仕事をするきっかけになりました。
◆手相で「興味の範囲が広くて」と言われた
あとの2人の手相の判定は、私の性格の特徴、興味の範囲が広くて絞り切れない、これが「十五占法」にたどり着いた原因です。
◆改名で得た思わぬ幸運
前述の占い師に改名してもらい、正式な裁判手続をして現在の本名で必ず運を開こうと思い努力しました。
後に自分では、まったく想像もつかない、チャンスをものにすることが出来ました。
◆高島易団の判定
仕事に就く前に大金を出して高島易断(本物かどうかは?)に墨で書いたものを貰った事があります。
将来は、レストラン経営に向いているという、逆立ちしても当たってない事が書かれていましたが、
◆間違った判定も生かし方
自分流に解釈して、安定収入を得るようにという意味ではないかと解釈、
26才でアパートを建てました。
この点では非常に役に立ちました。
つまりは、活かし方です。
◆最初就職した会社
私が最初就職した会社は、技術系で3K(きつい、汚い、危険)職場でしたが、私は、全く意に介せず、同窓生が楽できれいな仕事をしている事になんの引け目もなく自分の道を黙々と歩みました。
◆「秀吉の草履とり」
その当時の考え方の基盤は「秀吉の草履とり」
これが、正解だと明確になったのは、何10年か後です。
◆私の描いた道「どん底から這い上がる」
というシナリオで、あえて過酷な道を選びました。
この考え方は、高校時代に読んだ本の影響です。
友達のお母さんが私のイメージと違うと言っていましたが、私の心の中は前途悠々の気持ちでした。
◆占いに再度興味を持ったきっかけ
私は、仕事ではよく頑張りましたが、なかなか評価されず、悩んだ時には運命を勉強する習慣がありました。
◆自分の運命を知る
占いでわかぅたことは、
直接評価されにくいが、組織の上層部や、他社から評価される、または、いなくなってから存在感が増す、という事でしたが、まさにその通りでした。
◆これが不幸というか、
モチベーションになりました。
もう一つは、20代は、苦労する時期、30代で評価されないのは、努力が足りないということの確信がのちに判明しました。
◆私が占い師になったのは、
子供の頃から人の行動を観察していて人の行動に興味を持ったのと、会社に入ってからは、人と組織を観察して、その心理的な側面に興味があり、勉強してコンサルタントになり、組織を改革すること、営業指導をして、個人を動機づける事でも評価を得たので、その延長線上で退職して個人に焦点を当てたという事です。
◆不確かなことを解明する
という事にも興味を持っていました。
私は元エンジニア(国家資格)で人との関係は不得意な分野でした。
技術屋から180度転換して営業の世界に、そして、コンサルタントに、そして占い師に、変幻自在の私です。
◆私を知る人は、その変化ぶりにびっくり
技術の分野は、合理性、論理性で解決できますが、人はその逆の分野ですが、わかりにくい事を、わかるようにする事、心理学の延長線上でもあるところに興味があり、人に喜ばれる事は私のやりがいなので、という事でしょうか?まだ表現できていないところもありますが、
◆占い師の胡散臭いところになぜ興味を
表通りでなく裏通り、人生の縮図を見れるというのも興味のあるところです。
これは、故社会評論家の大宅荘一氏の影響もあります。
つまり社会の表面的な事は嘘偽りがあるが裏から見ると本質が見える。
だから、社会的に評価されない占い師に合理性を見つけて、見えない世界を
見えるようにしよう、引退した身ならば世間体を気にする事なくやれるという事です。
◆困った時、占いに頼る
会社の役員をしている時に資金繰りに困り百貨店横の女性の占い師に診てもらうと「助けてくれる人が現れる」といわれ、翌日その通りになり助かったことがありますが、翌日、その占い師が所属してるところに会いに行くと不在で、そこにいる占い師には、ぼろくそに言われました。
◆占いの師匠との出会い
追い出された私を拾ってくれたのは、私がコンサルティングで貢献した会社でした。
社長室勤務の時に、突然、社長から「占い師を紹介するように」と言われ、
◆占い師と再会
以前もらって、財布の中に入れてしわくちゃになった占い師に早速連絡を取りました。
これが占いを勉強をする貴重なチャンスになりました。
◆「良く当たる」とネットで評判になった、
占い師に師事し、退社後に毎日通い夜12時ころまで口伝で1年間勉強しました。
こういうチャンスは、なかなか得られるものではありません。
占い師と相性があった事が偶然を生みました。
◆当初占いは独学で
勉強していましたが、わからないところがありました。
私の師匠になる人と出会う前までは占いの勉強に行き詰まっていて、
こんな合理的な方法があるのだということを、即、感じました。
この占法が役に立つと判断したのは直感です。
◆有名、無名は関係ありません。
自分が、よいと思った事を追求すればよいのです。
雑誌に出ていた、横浜の占星術師の所に行った時は、まったく何も役に立つ事はありませんでした。
◆権威性や流行に依存すると間違います。
自己判断力を養う事が大事です。
◆占いで独立、即やめる
事務所を借りて占いで独立しようとしましたが、最初の相談者の鑑定をして、実力のないことを悟り、即方向転換をしました。思い違いでした。
◆勉強のし直し
占いの師匠に習って、以降30年間の検証期間を置き、占い師のなるのは
先延ばししました。
占いを勉強していくと、思い当たることが日々あり、自分も人を見る目もよくわかってきます。
◆私が、勉強した占いの種類は..
手相、奇門遁甲、星占い、方位学、気学、九星、姓名判断、家相、タロット、
易、観相、四柱推命、密教占術、数秘術、数命術、占数学、占数術、マヤ歴、
神社の祈祷や、お守り、霊感師に頼った事もあります。
◆私が、最初占い師として売り出した時
占いに関しても分野が多岐にわたり、どうすべきか悩み、
当初は「占いと心理の研究家」という名目で売り出しました。
◆ある日、突然、生徒が来なくなり
ゼロになりました。
当初は、全国規模のカルチャー教室で教えていましたが、
グループでまとまって入会してきた連中なので、やめる時もまとまって辞めました、理由は、あまり理論的過ぎたからだと思います。
◆2年間生徒が来ない
その間、教材の充実に努力しました。
2年後、以前の生徒たちが、また復帰してきたのでそれからは波がありましたが、順調に推移しています。
この2年間は、現在の基礎を作る貴重な時間でした。
◆他の教室には、いろんな占い師が教えに来ますが、
長続きしません。
私は指導歴20年以上になりますが、長期に継続する事は、むつかしい事です。
◆占いを仕事に活かす
占い師になる前に経営コンサルタントをしていましたが、
20年間の経営コンサルタントの活動の中で人を評価する事に占いを活用し
成果をあげました。
◆鑑定所での占い体験
勤務は朝9時から夜の9時まで力のある占い師の所に客が来るとは限りません。実際はむしろ逆です。
判断するのは素人の客です。
客のあしらい方になれれば、実力はなくともやり過ごせます。
12時間待機していてゼロという日も2回経験し辞めましたが、
経験にはなりました。教室からの依頼がありました。
◆心理の世界にも興味
占いに心理カウンセリングという心理学の延長線上を加味すれば自分の求めていた事を具現化できると思ったからです。
◆占い講師として20数年
オリジナルな教材は1,000ページを超えました。
別途、心理関係の教材のみで350ページはあります。
10年間、同じ本1冊で教えてる講師とは、雲泥の差です。
現在、東洋と西洋の占い技術15種を統合、心理分析を加え、心理カウセリング技術に活かす方法を広めるためのページ公開。
◆人生経験の必要性
ある程度の人生経験を経た経営者の人生における考え方は
①運命に翻弄される(運命をもて遊ぶ)。
②宿命に耐える。
③使命感に生きる。
① ②は占いを知っているか知っていないかで翻弄されることを防ぐことができますが、一般の人は関心かありません。
人生に必要な3つの要素は?
①知力能力 ②メンタル力 ③体力
これらが分かった頃にはもう人生は終盤です。
◆学歴一辺倒の人には
こういう事は分かりません。
私の場合、今は使命感で生きています。
医者やベテランの看護師が一生治らないといった病気に対応する目的の体質改善のため酒はやめ病気は克服できました。
酒がなくて何が人生の楽しみか、とも思いましたが別に何とも思っていませんし酒も欲しいと思わなくなりました。
◆趣味を楽しむ時間
今の私は、その他一切の楽しみはありません。
毎日SNSで情報を発信しています。
テキストも随時発行し続けています。
仕事一筋、私の占いの技術を伝承することのみで生きています。
オーバーじゃなくて、
達観しないとこんなことは書けません。
以上、全て事実で、なんの誇張もありません。