事例

ある人の親体験

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 昔、その時はペットボトルとか勝手に飲み物がある時代ではないので、

か、お茶か麦茶を飲みたくて母に喉が渇いた事を伝えると

あんたは飲み過ぎ!飲まなくて良い」って言われており、

「それが普通なのか」と自分が変なのだと信じ込みました。

喉が渇いている状態が普通」をずっと続けてました。

の当時、とても喉が渇いていた事をネットの心理の先生に伝えたら

身体に力が入って緊張するから喉が渇いていたのですよ」

言われて納得。

当時、私は何一つ思うように生活出来ていなかった。

半身不随なのに自宅で片足で歩くだけでも母親から非難され、

慢と悲しみ+身体のメッセージを聞けなかった。

なので内臓が壊れたと思います。

母のいう事を全て否定せず黙って受けておりました。

かに波風は立ちませんし、穏便な空気が流れます。

しかし、いつもながらの母の態度に限界を感じて何時も自我を抑えつける、

自己否定、胃は捩れそうになるし、顔は引きつるし,

る時、出かけた先で母がハンカチを忘れて、私も持っていないことを伝えると

「お寺で手を洗いたかったのに、おまえがハンカチ持っていないから手を洗うことが

出来なかった。この子はどうしようもない子だ、ハンカチ位持って歩きなさい!!」

怒鳴られ、この年になっても子ども扱い。

自分の非は全て私のせい。

「私はダメなんだ。従わなければ」とこの年になってもしておりました。

は自分の自己肯定感が低いのを私に当てはめてその思考を私にいきなりぶつけてき

ます。それも毎回。

機嫌が悪いと「お前が悪くした」といきなり言ってくる事も。

れでも、私はこの方が生きていくためには必要なんだ。

と、情けないほど自分を恨み、自分が生きていることが憎かった。

苦しかった。苦痛でした。

昔、虐待されていた事を言いにくいと思っておりました。

は、母に育てられてないのに従う意味があるのか?

沢山の疑問に気が付き、調べていくうちに色々な育てられ方をした方の体験談を見つ

けて初めて、自分が虐待されて育てられていたことに気が付きました。

が付く前に「自分であるな」「存在するな」の禁止令を読ませて頂いてて、

その時は読んでても自分に当てはまっていることに気が付かなかったんです。

母は私に「障害者だから目立つな、人の前に出るな、一人で生きていけないくせに。

何も言うな、言われたことのみやっておけ」

あんたは最低人間なんだ、自分で生きていけない癖に人に頼って生きていくくせに」

「親が死んだら誰もあんたの面倒は見てくれんのよ!親を大事にしろ」

「手足が使えない”片尾”の癖に、あんたは何のために生きとるんだ!親に世話にならなと駄目なくせに」

と、ほぼ毎日言われておりました。

それもヒステリックに、怒鳴るように、これが根底にあり、これが心理的な土台になってります。

ここまで書いて、頭が痛い、寝込まずに書けてるのが凄い。

これはほんの一部です。

足をアイロンで押し付けられても「あんたが悪い」あんたが生きてるから。

学校に行く時は、腫れた足を制服から隠せなかったので

「学校では、”コケた”と言え」と母の口から言われたが

私が生きてるからこうなるんだ私が悪いんだ」と言う思いました。

片手しか使えないので

「両手でなくても出来る」の範囲を広げておけば色々挑戦できたのでは。。

念な時間を過ごしていたと振り返ったりします。

しかしその当時の私は「毒母」の元で生活してたため

「手足が不自由」を前面に出すことが許されていなかった。

親の「自己愛着障害」が原因で私の破壊的な構想が成り立ってて

「出来ないことがある」を攻撃して母親に依存させるように仕向ける様に生活させら

てきました。

母は間違ったことを認めない人、全て私が悪い、生きて其処に居る事が罪。

読親であることが理解できて体の力が抜けて寝られるようになりました。

生きいても良い」を悟ってからは自宅でじっと過ごすことも出来るようになり、

体の力が入らないのでイライラもしなくなり過食も無くなりました。

 

親に壊された心の治し方